「自分が踏みしめた大地」の足跡

2015.5.30
「言葉のまんま」
「言葉そのもの」

奥行も背景も想いも雰囲気も、ない。
そんなコミュニケーションが
日常的で、普通で、当たり前の人がいる。

それはそれで良いのだ。
そのまんま、受けよう。
ただ、そのように受けて、処理して、返せばいいだけ。
そこに「自分の感情」を挟む必要もなければ
挟まなきゃいけない理由もない。

わたしは、というか、
女性は「言葉」に日常や環境や感情を乗せて
把握するのが得意だから。
沢山乗せて、言葉以上のものを感じるのが得意だから。

喜びは10倍に。
悲しみだって10倍に。

わたしたちは
既に「言葉」をもっているから
言葉に頼る事も多いけど。

わたしが惹かれる人には
必ず、「言葉」の奥に
その人の想いや「自分が踏みしめた大地」の足跡がみえる。

そういう人が好き。

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