2015.5.6
わたしが「わたしらしく」いるために
わたしは自分に必要な分「以上」に
激しく、物凄い勢いで、人にエネルギーをぶつける。
なぜなら
周りは「我慢してるひと」がいっぱいだから。
「自分に素直」に生きようとするひと、
つまり、わたしみたいな人間は
怖がられ、疎まれ、変なひと扱いされ、非常識だと言われる。
わたしは、
わたしに意味がある。
わたしという人間である以上
わたしになることが自然だし
わたしを諦めることは、死んだも同然。
自分を大事にできない人が、
それすらも気づけない人が、
自分を「不幸の運命を背負った」と思い込んでる人に限って
わたしなんかを「勝手だ」「周りに迷惑をかける」「自由でいいよね」
なんて皮肉に、困ったように、言うのです。
ひとの人生どうこう言う前に、
自分の人生、きっちり生きようよ。向き合おうよ。
目にみえるもの、見えてるもの、
知ってる知識、知ってる常識、知ってる現象、
そんなもの、たかが知れてる。
わたしは、やっぱりそうなんだ。
見える、確かめられる、「みんなと一緒」の喜びと幸せは
わたしの一番の喜びと幸せにはならない。
わたしは「生かされ」る。
「生かされて活きる」
「活かされて生きる」
ささやかな幸せではなく、
ダイナミックで、突き動かされ、荒波にもまれ、
わたしの奥に潜むものが、常に周り、静かに大きく揺れるように、
わたしの人生を生きる。
この時代、この世に、わたし、として生まれたからには
わたしとして生き抜く価値がある。最大限、わたしとして。
だから、わたしと関わるひとは、
激しく、揺るぎなく、自分を生きて欲しい。
わたしが、そうだから。
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